雑想

満たされる

誰もが自分の生きる時間に閉塞性を感じているのではないかと思うのだ。

どうすれば満たされるのだろうかと考えれば、それは物で満たされるのではなく、関係で満たされるのだと気づく。物を取り巻く関係を生み出すことが閉塞性を緩和することの一つの方法なのだと思う。

今が満たされているとすれば私の器が小さいのだろうと思う。

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私の代わりは

綱をしっかりと握らなければ波にのまれてしまうのだ。私の代わりはだれもいないのだ。どうして世界はこんなにも明るさを否定してしまうのか。閉じている分開けば見えるものはあるかしら。例えも思いつかないほど深い場所に私は佇んでいるのかもしれない。だまって鳥葬してほしい。乾いて枯れて朽ちてゆくものに私はなりたいのだから。

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深く閉じて深く開きたい。

太陽のように沈んで生きたい。そして深く閉じて深く開きたい。

私は私に語ろうと思うのだ。そして私はいつも自分を書き変えたいと願うのだ。

底闇と常闇は闇の色が違ったのだ。私は今、底闇の中に。

地を這うのはミミズでもなく、鳥でもなく、私だった。

夢と現実は交差して溶け合う。

世界にはいろんな人がいて。理解し合えないことなどありはしない。

最初から慰めを当てにしてはいけないよ。

お山の大将でいてはいけないのだ。

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希望は残っている。

養老孟司が言っていた言葉が耳に残っていた。

「希望は残っている。戻ればいい。」

先はどうなるのではなくどうしたいのかということなのだと思う。自分はどうするのか。動くことの価値を喚起された気がしたのだ。

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呼吸する

感覚とイメージとのつながりを強固にしているものは知識、経験、目標、願望などが心の中で融合するからである。

仏教では六つの感覚器官(眼・耳・鼻・舌・身・意)が働き、それぞれに認識を得るらしい。感覚器官に(意)が含まれることには驚く。

イメージを膨らましてゆくことは感覚を研ぎ澄ますということである。呼吸の中で生きている今、何が吸うことで何が呼ぶことなのか。イメージすることも感覚を研ぎ澄ますこともどちらも呼吸である。呼気と吸気の中で私たちは存在している。創ることは呼吸することなのだろう。意識で包み込むことで創ることはより深く広くなってゆくのではないだろうか。呼吸のように。

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嘘は一つつくと二つ三つと重なっていくものなのだ。

孤独も同じように重なっていく。途切れてしまうものをつなぐことで普段見えないものが見えてくることがある。

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丁寧に

一つ一つのことを丁寧にこなすこと。そして生きる。そういった当たり前のことをする生き方を続けることは本当に難しいのだろうか。

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逆上がり

逆上がりを父に教えてもらった思い出がある。小学校4~5年生の頃だったと思う。夕方、小学校の鉄棒で逆上がりを教えてもらった。父は家の時にいる時と違い優しかった。逆上がりを自分一人ではできなかったけれど、その次の日には一人でできるようになっていた。コツを身体に叩き込まれたのだと思う。寝て次の日になると身体の中に逆上がりをするコツが根付いていたのだと思う。

父との思い出が最近よく思い出される。

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タイムプレッシャー

タイムプレッシャーでどんどん物事をこなしていこうと思う。時間で区切って一気に仕事をこなしてゆく。作業といったほうが正しいだろうか。作業が仕事になるようにしたいものだけれど。

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インプットとアウトプット

最近インプットとアウトプットの量がどうも少ないなぁと思う。大きさもちょっと小さいものばかりでだめだなと思ってしまう。

大きな仕事はどこなのだろうか。生まれるのは自分の中からなのだと思う。インプットを太くしてアウトプットを広く広げようと思う。

私は今、一体どこにいるのだろうか。

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