書写書道教育

書写力

先月?、全国学力テストに書写の問題が出た。書写が学力という認識として捉えられ始めるということなのだろうか。文科省が考える学力という視点をしっかりと明確にしていくことが大切であるように思う。書写力として考えてゆけばいいのだろうか。

書写をどういった考えで国語という力に関連させてゆくかをこれからはより考える必要があるのではないだろうか。常用漢字表が新しく改訂されたことで、より書くことへの重要性は高まってくるように思う。書写がどういった認識の中で授業として扱われるかを検証してゆくことも必要なのではないかと思う。書写の授業だけしていればいいというものではないように思う。授業全体を包括し、底上げする力が書写にはあるのではないかと考えている。

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鑑賞の視点

高等学校芸術科書道の鑑賞について

表現と鑑賞は表裏一体である。

これからの書道教育には生涯教育の視点が必要になってくるのではないか。

書の見方=鑑賞にシフトした授業が大切になってくる。

言語力を高めるという考え。書道教育の中で抑えるに鑑賞の視点が大切になってくる。

鑑賞の学習材について考える必要がある。漢字の書・仮名の書・漢字かな交じりの書それぞれの学習材について。

書論を学習材―教材研究としても考えていく。

学習材と同時に教授法も思案する必要があるのではないか。

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書写教育に関して

子どもたちの自己評価の妥当性はどこにあるのだろうか。

書写の評価基準・規準は主観にまかせられている?

一時間の中で評価基準・規準をすべて見ないで単元の大きな枠組みの中で見ることも大切。

授業前に子どもたちの現状を把握する。作品、生活態度を見ながら。

授業中は子どもをマークする。子ども一人一人の課題に対しての手立て

書塾に通って書ける子にはどのように課題を与えるのか。(できる子の対応)どんな子にも意欲を湧かせるためのワークシートを作ること。

書くことの動きの意識化を忘れてはならない。

練習用紙に溺れてしまっている場合はないだろうか。

毛筆独自の豊かな学びはできないだろうか。

書写離れの現状をどう打破するか。先生の力次第ではないだろうか。書写で輝く指導。用具用材の整備。

左利きの生徒への指導―書きにくいからこそ丁寧に書く意識。親の指導による。

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理論なき実践は盲目である。実践なき理論は空虚である。

文献レベルの先を見据えて、歴史研究と今日的な研究を区別して先入観を限りなく排除して研究していかなければならないのではないか。

論文をそのまま受け取ることと解釈して受け取ることには思ったよりもレベルの相違があることに気がつく。そこには実際の指導としてどのようなことが行われていたのかを踏まえる必要があるように思う。

現代の視点というものを入れるときにどのような配慮が必要になってくるだろうか。

過去の論文と現代の課題がどのようにリンクしているのかを踏まえる上で、理論と同じく実践といったものがより重要になってくるように思う。

理論なき実践は盲目である。実践なき理論は空虚である。このことを忘れてはならない。

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現代の我々に

毛筆習字時代の変遷を整理しておかなければならないと思っている。流れを知ることで見えてくるものがあるのではないかと思っている。

毛筆が学校教育の根幹となりうるのではないかという視点を、いつも離さずに持っていることで自分の書写書道教育に関する眼が変わっていくのではないかと考えている。

豊道春海の書に対する情熱は、現代の我々に引き継がれているのだろうか。

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豊道春海

豊道春海の書についての教育観を見ていくと戦後の書教育史の立役者であることがわかる。豊道春海がいなければ今、小学校の教育課程に書写が残っているかわからないというのだから驚きだ。

そういえば、豊道春海は西川春洞の弟子なのだった。豊道春海の書にはあまり魅力を感じないけれども書に対する思いは尊敬したいものだ。

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過去を見返し、未来を照らす。

書教育の論文作成を開始した。上条信山の書教育論を読んでいると教育現場と国の狭間で書教育をどのように創っていくかを模索していたことを感じる。

これからの書教育とはどのように創られていくのだろうか。

過去を見返し、未来を照らす。四字熟語でなんて言ったっけ。

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ごっそり

芸術科書道における教科書を自分で作ろうという試みをしようと動き出した。まだ教材集めではあるが、今まで浅い勉強しかしてこなかった日本書道史、中国書道史、を含め、芸術家や有名人の書や書簡など広い範囲で集めている。

とにかく主観的に教材をごっそり集めること。多くの作品に触れさせることの意義を忘れないようにしたい。

例えば、教科書を使う地域の特性に合わせた、教材内容の選定も必要なのではないかとも思う。とにかくごっそりと集めなければなぁ。ごっそりと。

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電子黒板

小学校の非常勤講師で書写について勉強していると、電子黒板というものが最近教育現場に入ってくるということをちらほら聞く。

去年の事業仕分けで廃止されたはずなのに、どうやら文科省とは違うところからまた電子黒板の申請があったらしい。

書写書道教育にとって電子黒板はいったいどのような影響が生まれるのであろうか。気になる気になる。板書の概念も少しずつ変わっていくのだろうか。黒板にチョークが当たる音が教室から聞こえなくなってしまう時が来るとしたら寂しいことこの上ない。教師が黒板に字を書くことを見せるという行為そのものだけはなくしてはならないと思っている。

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没価値的

没価値的なものを重ねていくのが論文の本質ではないか。論文の為の論文ではなく、社会に生きる論文の在り方を考えると、没価値的な論文を書くことで、論文が孤立するのではなく、論文が他の没価値的な論文と重なり、建築的な論がうまれるのではないかと思う。

自分の書写書道教育に関する論文も没価値的な論文を目指して書かなければならないと思う。

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