記録・記憶

記録することと記憶することの両方を考えていると、私は記録してばかりだったように思う。そして本当にその時々、素直に私の中に輪郭として残っていることこそが記憶だと思う。記憶したくて記憶することはどこかおかしいのかも知れないよ。

記憶に埋没することと想像におぼれることは同じなのかも知れない。でもそこから逃避するのか、脱するかの違いは全く質の違うものなのだ。

私の奥底に眠る私がいつそれに気がつくのかは、今はまだわからないけれど、一生気がつかないのかも知れないし。それはまた一つの記憶として、記録として私の中に刻まれてゆく。

何で記憶するのかと思う。

音だ。発せられた発信源と耳とが空気を無視してつながり、鼓膜を何度も面で叩くような音だ。点で叩く音はいつも私を突き抜けて残らない。傷さえも残らない。傷は記憶だから、点の音は記録としての記憶でしかない。

記憶の記録。記録の記憶。時間の中に流れながらも、残っていることはいつも誰かにしか見えないことなのだ。

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薄い場所へと

言葉で自分を導こうと思うんだ。

どこへ。

薄い場所へと。名も知らぬ人々が歩み朽ち果てたという場所へ立ってみたいんだ。

どうして。

知らない。でも死に場所を求めているのかもしれない。

そう。

ごめんね。じゃあ行くよ。

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光の環

退化していくのだろうか。

わかることとわからないこと両方を保持したそなたは美しい。

近寄りたい。まさしく同化したい。願ってはいけないのだろうか。産み落とすものは闇の始まり。失うは光の影。思惑はいつも外れることをやめない。きれいな川に身を投げれば私の身体はいつか輝きを取り戻すかしら。とめどなく流れゆく時を数えているのは私ということを扱う者たち。ちょっとでも怒りを投げつけようとするものなら反発は目に見えている。

どうして取り戻せないの。いつも閉じてばかりいるあなたの中の私。そして光の環

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生かしておくべきは

エトランジェ。

呟いては懐かしむあの視線。

ノスタルジアという言葉を知ったのはいつだっただろう。私のエトランジェ、ノスタルジアに振り回されないで。

両性具有の生き物が地球の原初を闊歩する。

生かしておくべきは私ではなく彼らだろうか。

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ソウカシラ。

波立てば波に乗ってしまえばいいのだろうか。だいたい乗ったところで行きたい場所へ行くわけでもなく、流されるのがオチ。

たどり着いた場所で一人佇めばいい。

佇んで泣いてしまえばすべて忘れてしまうことができるのだろうか。

ああ、忘れてしまうことと思いだすことがすべてひっくり返ってしまえばいいのに。

不思議に泣くことをやめた少女は成長を身体の一部にとどめてしまうのだ。

二ノウデガフトクナル。ココロハホソクタナビク。ユラスノハダレダ。

くるりと視界をひっくり返して投げ出してしまうのは死ぬ間際でいいのだ。

背負ってしまおう。

括られたことが救いになることもあるのだ。

フフフ。

私しか私を知らないのだから。

ソウカシラ。

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増殖だもん。

増殖だもん。

増える増える。何が。私が。絶え間なく増えては混ざり合う思考の河に浮かべてきたのは忘れられない恋なのだ。

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写真は燃やすために

紙細工や熊の木彫り、刺繍は無意味なものと決まっている。捨てるためにあるようなものだ。熊の木彫りは小さければ手で愛撫すればいい。手の脂で黒光りしている。写真は燃やすために撮るのだ。

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頬を撫でる川

自分には何が必要で、何が幸せなのだろうか。

世界のすべてが愛おしくなるのだろうか。愛おしいと知っているからこそ今よりも愛おしいと思えるように求めているだけなのかもしれない。

私は私自身に追いつくことに遅くて速く速くて遅く。過ぎ去って追い抜いてばかりいる。掴んでは離し離しては掴もうとする繰り返しが私自身なのだと気づいたのは今。

後悔も反省も、掴んでは離してしまったものがただ一つしかないものばかりだから、役に立たないのだ。そんなこと知っていて触れられるならば、生まれてさえこなければいいのだと私は川に向かって呟いた。

愛しき私自身よ。掴んでみよ。幸福を。指をすり抜け空気になじんで幸福はいつの間にか日常とすり替わる。

明日は見えるのだろうか。あの沖に浮かべてきた日常のように。幸福はいつも私の頬を撫でている。

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地上はいつから地上だったか。

地上はいつから地上だったか。地上は地上と意識されればされるほど地上から遠のく。

私は自分が味わえなかった生を味わい、死を味わう。誰のための生なのか。生のための生か。

私は本当に私なのだろうか。

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物語は降りてゆく

この光は塊となってゆく。淡い光の管を光のつぶが流れていくのだ。遠い日々はいつの間にか光を先へ先へと送り届ける回路になってしまった。生き際に死はいつも親切なのだ。

高い場所から低い場所へと物語は降りてゆく。

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