日記・コラム・つぶやき

振り返らなくなったことだけは

もう1月も折り返して1週間がとうにすぎて、そういえば正月があれば、そのぶん1月も短いように感じるのはあながち自分だけでないような気がして、まどろっこしい気持ちの移り変わりいわゆる鬱っぽいこの気持ちも少しはそれで晴れるかしら。ブログの整理も終わってなんだかすっきりした気分はほんの一瞬、ほんの2秒。2秒の為に3時間費やす事ってなんだか言葉も唾液も枯れきった様な気がしてさみしい。孤独とは違って物凄くさみしい。そういえば、この半年の間にブログの文体が変わる変わる。私が書いていながら、私が読むのを楽しみにしているような感覚が10月くらいから続いていたけれど、何とも言えないこの半年の文体変化には変態性を感じる始末。んー。でも去年の文章なんか文体が持久力ないない。内容もなんだか安い居酒屋のお通しのようなもんで、味っけもくそもない。そうはいってもこの文体になにか魅力はあるのかっていえばないない。振り返らなくなったことだけが唯一光ってることかしら。

振り返らなくなったことだけは。

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東京タワーは真っ暗で

朝っぱらから始発のモノレールに乗るため浜松町の漫画喫茶から出ると東京タワーは真っ暗でああー。なんだ人と同じやん。と。モノレールに乗車すると男か女かはっきりしない(いやはっきりする必要なんかサラサラないんでしょうよ)人が髪をいじりながらあちらこちらを眺めていて、眼でも合ったものならたぶん寝不足の体に鞭打って『ニコっ』っとでもすれば誰か救われるかしら。驚くべきは男女
善悪
表裏
縦横
左右
上下
なんて、いろいろな対象的な言葉はなんらかの個人か社会かはたまた身の毛もよだつ理由を持ってこの世にあるのであってこの世というものもあの世があるからこの世ってのがあるんで、誰かが多分迷惑してるんだろうな~と思って。

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不可思議東京

驚くべきことに眼をパチパチ開けば、小指は曲がり、冷えピタシートは眉毛を覆い尽くしているのであった。普段吸ったり吐いたりしている空気には画鋲でも混ざって居るのだろう。不可思議東京の空気。ありとあらゆるものを受胎して気長なクリスマスは更けてゆく。

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どうにか

私を取り巻く環境は、いつも私以外のもので構築、形成されているのにも関わらず、端的に言ってしまえば、私自身がどうにかすることで、その環境はどうにでもなるわけで、「どうにかって?」と問われれば、「どうにか」と答えるしか能のない私だけれども、今、私は「どうにかできる」と自分を信じ切って貫き通せる予感が身体を通り抜けたのだ。

あ~。単発な文だな~と思う。持久力が無くて笑えない。本当に笑えない。つながりが薄い崩れかけの関係を引っ張って引っ張ってどこまででものばそうとしている私みたいな文だ。こんなんで「何をどうにかできるの」って自分で問いかけたくなる。でも、「どうにか」する。いや、してやる。

とはいっても、「どうにか」する対象はなんなのだろうと考えてみれば、それはもうわかっているのだから簡単なものだと思う。私自身の何かをどうにかすれば、「どうにか」なるはずなのだ。

「どうにか」

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過去はもしかしたら

勉強しないといけんな~。と思いながら週末は過ぎ、また一週間は始まる。月曜日は憂鬱にと重なって自分が本当に頭が悪いんだなあと考えさせられる日。話し言葉の連打にさすがにのんびりで鈍感な私も「ああ~泣きそ~う」なんて思いながら、月曜日の講義は過ぎ去っていく。同級生の意見は「思い上がりだな~」と思いつつも、半分は「当たってるな~」と思う意見であるのは紛れもない真実で、私はダウンしそうになりながら、それでも厳しくも優しい先生の言葉にすがり、いや私の手のつけようのない頭の悪さにあきれているんだろうなと思いつつ、他の同級生には同情という名の軽蔑をされ、なんとか一時間半の講義を乗り切るのです。ああ、「自分こんだけできますよ~」みたいな匂いをぷんぷんさせながら饒舌に語る人を見ると、昔の自分をそこに重ねてしまって何とも寒気がするのです。風邪ひいたかな。と勘違いするほどの寒気を。泣きたくなるのは自分の不甲斐なさの他に過去への後悔があるのかもしれんな~と思ったりもするのです。そして私は過去はもしかしたら現在になり、未来にもなるんかな~。とひとり部屋で思ったのです。

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自分がいつ眠りにつくのかを

意地ばっかり全面に出したような人たちと関わっているとどうにも疲れというのは、身体のいろんな所にバラバラに溜まるようで、家に帰れば何にもしたくなるものなんだな~と思いつつ、指先だけは動かせるので、パソコンとにらめっこをする。借りてきたコダールのDVDでも見て寝ようと思えば、人から電話はかかってくる。何もかも受け入れることで変わっているのは私の内なるものなのか、他者の私に対する接し方なのか。そんなものはいくら考えてもわかりはしないので、私はいつのまにか独り、部屋を見渡し何もない部屋のどこかに自分を俯瞰できる眼を置いて自分がいつ眠りにつくのかを見つめるのです。

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時はいつの間にか成長を促してくれる

約一月前に広島に行ってきました。初めての夜行バスに揺られて眠れないし暑いし、身体は痛いし、もうしばらくあれには乗りたくないなあ、広島に着けば一日早く来たもんだから宮島と原爆ドームどちらか行こうか悩みつつ足は宮島へ。

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鹿さんこんにちは。でも奈良の鹿みたいに天然記念物ではないし、餌もあげてはいけないのでさようなら。

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今度は夫婦の狸さん。どっちが旦那さんですかね。右かな。ではさようなら。

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全部で100段ありました。往復で200段。登ればすごーい。

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広がる町並みは高校の修学旅行の時には発見できなかった喜びがありました。

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五重塔は昼間であっても神聖な雰囲気がありました。隣の建物は再建されたものらしいけど常に澄み切った空気が吹き抜けていてなんていうかいつもは触れられないものに触れている感覚を身体全体で感じているような気がしたんであります。

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水面で照り返す陽の光はやけにまぶしく、潮の匂いがした風が身体を吹き抜けると何かが洗われる気がしました。高校の時に引いたおみくじは凶だったけれども、今回は大吉。旅良し。健康良し。何でも良し。だそうで。ありがたく言葉を胸にしまい厳島神社を出まして、

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宮島もぐるっと回って疲れたところで平和記念公園と原爆ドームへ向かうことに。

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時はいつの間にか成長を促してくれるもんで、高校の時は一体何を見て考えていたのかなぁなんて思ってしまう。考える事を閉じてしまっていたのかも知れない。

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独り言

早起きも久しぶりにすると目がパッチリして気持ちがいいもんで、何とも身体がビクビクビクッと目覚める感じがするもんなんですね。ああー。満員電車で水道橋へ。15分の遅延は身体に悪いもんで、満員電車の車内は軽く胸焼けがしました。国語の研究授業の参観で初めて私立の女子校という場所に行ったんです。廊下の挨拶なんか立ち止まってすることにびっくり。授業は教師自身が生徒に教えることに対してとても惚れている、いやその魅力におぼれているというような授業でそれを生徒たちに丁寧に伝えている印象を受けました。わたしはとても感動してなんだか立ちっぱなしで疲れている足にたまった乳酸もどこへやら、身体が軽くなった気分で、昼からは大学に戻り授業を受けたのです。

んー。10月に広島にいったこと忘れてた。明日にでも書こう。

独り言ってのは自分独りしか聞いていないからおもしろいもんであって(おもしろくないものもそりゃああるけれど…)誰かに発信しているものならばそれは何でもないことなんだと私は思ったのです。そしてこの独り言いつまで続くんだろうなとも最近は自分をどっか誰にも見えない場所から眺めるように私自身に問いかけながら独り言を続けるのです。

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何ともすばらしい時間

何ともすばらしい時間だった。

皇室の名宝は、杜家立成、伊都内親王願文、喪乱帖、玉泉帖、などの筆跡に感動する。へばりつくこと1時間半、他には目もくれず濃密な時間を過ごさせてもらった。身体に筆脈をたたき込んだ事が、次の臨書する時に生きてくれると嬉しいと思いつつ東博を後にして芸大美術館の異界の風景へ。なんだかビデオのインスタレーションにはインパクトが欠けているような気がして私にはどうも、ごめんなさい。他の作品は良かったような気がしつつも、なにがよかったのかは覚えていなくて、買ったばかりの何も塗られていない塗り絵の輪郭だけの様な記憶が残っているので、これからゆっくり色を塗ろうかなんて考えつつ。そういえば芸大のアートプラザにあった漆の企画販売のカップ。1万円しなかったからよくよくよく考えれば買っておけば良かったなんて家に帰って思いました。冷泉家は何のことなしに予備知識もなしに向かっていけば跳ね返されるのがオチで後期の時には理論武装で望まねばと思ったのであります。あーあー。平櫛田中の彫刻はどうしてあんなにも芯があるのだろう。半年に一度見ていた中原悌二郎の彫刻にも深い芯があった。こんなにもこの世界に深く芯を残して去っていく事ってひどく恐ろしい事のようにも思うんだけれども、でもそんなことをしてもいいと誰かに許されているからこそ残す事ができたんだろうなとも私は今日思ったのです。そして、私も誰かに許されてこの世界に何か深く芯あるものを残したいなと切に願うのです。

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私は今日も一人

んー。これはきっと誰かと交信したいんだな。そんなことを私は昨日のブログを書きながら思いました。寂しいとかではないんだろうけれど、何となく外に何かを発信して返ってくる何かに浸りたいんだろうなと私は自分の見たことのない内面に問いかけてます。

「おい、私どうした。」

「ん、なんでもない」

みたいな。

こういう感覚の時は内に内に何かを発信して、私は今日も一人お腹にガスをためて寝るのです。

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