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2010年10月

思う。考える。

新しく靴を買う。履き心地がいい。柔らかに足を包んでくれる気がする。昨日買った靴とは大違いだ。部屋掃除も一段落した。豚汁をつくる。なすを味噌に砂糖を加えたものでからめて焼く。食べる。お腹が満たされて少し眠たくなる。パソコンでゲームをする。どうしても溶けない謎。明日、これを書いているのはもう明日だけれども、ゲームの謎なんか比較にならない誰にも解けない謎解きを始める。

思う。考える。それは同じことなのかもしれない。

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欲がどんどん

靴を買う。買ったときはこれでいいかと思ったが、はき始めて五分ほど歩くと間違ったと気づく。硬い。靴底が硬く、膝への負担がとてもかかる靴だった。バイト中もずっと気になりバイトにならなかった。靴を買い換えねば。安物買いの銭失いとは言ったもので、これから気をつけなければ。バイトが終わり、大学で飲み物を飲みながら菓子を食べつつパソコンを見ているときふと気づいたことがあった。

欲がどんどん狭く深くなっている。

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何かに導かれている

家でぐったりする。のどが痛い。部屋の湿度が異常に低かった。室温も低く風邪をひきかけた。部屋掃除、だらしない一日を過ごす。29日から走りきろう。30日は祖母の命日。

何かに導かれている。

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見切り

作品の完成について考えてみる。

完成とは見切りをつけること、さよならすることなのではないか。

精神が完成を自覚するところに作品は本当の完成を見るのだと思う。

ドローイングのタッチは外側から見るといつまでもタッチを重ねることが出来る。でも、完成は必ずどこかにある。それは様々な外圧ではあるだろうけれども、結局は作者の見切りが全てを物語っているのではないだろうか。

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天才と奇才

芸術家は社会の見えない悩み・種を自分の中に吸い上げて違う形にして出す存在なのかもしれない。その気概をしっかりしなければならないかもしれない。

天才と奇才の両性具有のような存在へ。

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自分自身になる。

自分自身になりたい人は、どこに行くかわからない。何処に流れ着くか自分自身でも知らないのだ。-オスカーワイルド

予定調和的な空気を取り払って行かなければならない。

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おめめお-2

私の中には思い出の輪郭が積み重なっている。自分を知るために創る・撮るのではないか。作品の意図も何もかもわからないままでもとにかく創り・撮り続けることしか今はないかもしれない。

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大人

ホームレスとは本当にルームレス。ハウスレス。の上に本当のつながりを失ったことをホームレスというのかもしれない。弱者を弱者たらしめているものがありはしないか。

大人は子どもよりも選択支があるから大人というのだと思う。

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無知

無知は罪なのだなぁ。

こんなにも無知であることが恥ずかしいと思ったことはないなぁ。これがいいきっかけなのかも知れないなぁ。

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緊張

顔の緊張は全身の緊張につながるのだなぁ。

物や事を創ることだけがクリエィティブなのではない。人生を創ることにクリエィティブであれ。

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物事

中長期的な視野を持って物事に取り組まなければ何も始まらないのではないか。

自分の表現が社会とコミットするかしないかはこれからの物事の向き合い方で決まる。

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執着

賞が欲しいわけではない。深い手応えが欲しいのだ。自分だけの手応えが。評価に執着しないことなのではないか。

書を現代美術として考えていた金子卓義の批評は美に執着していないように感じた。

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おめめお

記憶のしっぽはいつも見えていたはずなのに、向き合うことを避けていた自分。わたしは瞳を通して見守られていたのだ。撮ることと思い出すことはとても似ている事だった。

次は、のっぺらぼうを撮る。

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淡々とは

淡々とは、深く、深くということ。

私の常識は他人の常識の位相とは全て違う。超越する為にあるのが、表現することなのだ。

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芽生え

自分を俯瞰するモードとそうでないモードを切り替えるように意識することで何かが自分の中で直結する感覚が芽生えてきた。

自分はいつも育っているのだなぁと今夏を通して考える事が多くなった。自分が今どこに置かれているのか、自分を何処に置きたいのかを意識することにもつながっていくのかも知れない。

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祖母の記憶

記憶が粗くなっていく。ノイズも含んでしまった。記憶はいつのまに、いつのまに、自分から離れていくものなのだ。祖母の記憶はいつも鮮明なものだったはずだった。何かが自分の中で変わっていくのかもしれない。

これを残したい。

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毒を吐けば吐くほどに

顔で書いていた。何か自分を過信していたのだ。もっと突き放さなければならないのだ。もっと閉じてしまわないとダメなのだ。

閉じても開いてくる私。毒を吐けば吐くほどに毒になる自分。

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